ことば

COLUMN

「わが街わが友 吉祥寺2」東京新聞 2010年11月29日付朝刊

70年代ぼくは吉祥寺に住んでいた。なんの目標も夢もなくダラダラと過ごしていた。

どれだけ莫大な無為の時間を過ごしたか。バッグひとつで汽車に乗って、放浪という名の小旅行。

まさにその日暮らしという感じだった。

 

金が必要な時は、早朝高田馬場まで日雇いの仕事に出かけた。

一週間くらいまとめて働けば、なんとか生きていける寛容で大らかな時代。

町で警察官に職務質問を受け「キミ仕事は?」と聞かれ「散歩家です」と答えると、「そんな仕事ない!」と一喝された。

しかしそのくらい吉祥寺の町をウロついていたのだ。

 

行きつけの店は、ただ一軒だけ、喫茶『エコー』。

珈琲一杯で何時間も居座る若造に、店主は文句ひとつ言わなかった。

ぼくにとって珈琲の味は、今でもここがNO.1である。

学校にも行かず定職にも就かず来る日も来る日もブラブラと、そりゃあ将来のことを考えなかったわけでもないが、<まあ、どうにかなるだろう>という気持ちが圧倒的だった。

 

ある日、住んでいたアパート近くのライブハウスにブラリと入った。

そこには、同人誌や音楽・映画・演劇関係の本がたくさん置いてあった。

そこでたまたま手にした一冊の演劇雑誌、そこに掲載されていたエッセイがとても面白く印象に残ったのだ。

書いた人は、太田省吾。転形劇場という劇団の主宰者だった。

 

当時演劇や音楽は、ぼくにとって観るもの聞くものであった。

なぜそうしたのか、今となっては定かではないが、ぼくは太田さんに会いたいと思った。

早速劇団に電話を入れたのだ。

これは運命なのだろうか、なんと電話に出たのは太田さん、本人だった。

「役者志望の方ですか?」ボソッとした重い声で聞かれた。

上京して五年目のことだ。