ことば

COLUMN

「わが街わが友 豊洲5」東京新聞 2010年12月2日付朝刊

江東区豊洲。そこにぼくの彼女の実家があった。

1970年代の豊洲は、現在とまったく違う巨大な工場が立ち並ぶ工業地帯だった。

一角にコンクリート工場の貨物引き込み線があり、その線路が交差する場所に小さな三角州があった。

その敷地にポツンと建つ一軒家が、彼女の実家だった。

 

37年前、初めてぼくはそこを訪れ、彼女のご家族にお会いした。ご両親と妹さんは、とても気さくで元気な人たちだった。

ものすごい狭い家だったが、あらゆる箇所に生活の知恵があった。

三角形の土地の突っ先には手作りの小さな池があり、金魚やメダカが泳いでいた。

貨物列車が揺れるたびに、家はびっくりするほど揺れた。

娘の彼が家に来た、そんな思いもあったのだと思う。本当に温かな歓待を受けた。決して裕福な家庭でもなかったと思う。

しかし、そこには逞しく生きる姿と素敵な笑顔があった。

 

『今日は泊まっていきなさい』ご両親のそんな言葉に甘えさせてもらった。

風呂がなかったので近所の会社にもらい湯に行った。まるでつげ義春さんの漫画のようだなと思った。

帰り道、工場の向こうに裸電球が見えてきた。

それは、彼女の実家の明かりだった。お母さんが洗いものをしていた。

その時思ったのだ、この子と結婚するかもしれないと。

彼女20歳、ぼくは22歳だった。

 

それから数年後。

実家は立ち退かなくてはならなくなった。重機が三回動いただけで家は跡かたもなくなった。

家はなくなったが、その情景は今も心にしっかりと残っている。記憶の地図は、あの時のままだ。

そして現在、その周辺はお洒落な高層マンションが立ちならんでいる。