ことば

COLUMN

第3回 「実感」

「漣さん、忙しいでしょ!」とよく言われる。

「イヤイヤ、まぁいつも通りボチボチやってます」と答える。

仕事は、いつもボチボチやっている。それが、ぼくの実感だ。

 

「だって、TVつけるといつも漣さんが出てるから……」

「そんなことはないですよ。たまたまです」

きっと連ドラやCMが放映されているから、露出度が高いと感じるのだろう。

映画やVシネマの仕事が多かった時期は、そんなことをあまり言われなかった。忙しさだけで言えば、その時とほとんど変わってはいない。

たとえば、街を歩く。声をかけてくださる人がいる。

「あっ、常盤貴子のお父さんだ!」

「大杉さん、新しい連ドラがんばってください、必ず見ますから!」

本当に嬉しい。大きな励みになっていることは間違いない。

しかし、

「『DEAD OR ALIVE』のヤンさんですよね」とか「『ポストマンブルース』の殺し屋のジョーさんですか?」

とあまり言われたことがない。こことの何処かで、そう声をかけてくれることを待ち望むぼくがいるのは確かだ。これって、日本映画に触れている人が、それほど多くないということなのだろうか。まぁ、これも実感だ。

 

*

 

ぼくの友人である俳優には、〈映画しかやらないよ〉という人もいる。映画にこだわり続けたいという、その想いは理解の範疇にある。それは、ひとつのやり方であり生き方なのだと思う。

じゃあ、ぼくはどうなのだろうか。

映画もTVドラマも時にはバラエティーもやる。それらを格付けしてやっている訳でもないし、その一本一本に向かう姿勢は同じだ。それぞれの面白さ、大変さを味わっているというところだろうか。大雑把な括り方をすれば、〈求められれば、どこにだって出かける〉ということなのかもしれない。ぼくの仕事とは、そういうものなのだ。だって、いくら試行錯誤してもオファーがない限り、出かけることはdけいないのだから……サッカーの日本代表とまでは言わないが、そのチーム(作品)に入るには、やはり監督なり何らかのオファーがないと参加できないのだ。

まず〈現場〉ありき、そこではじめて〈こだわり〉というものが発揮され、俳優として息づいてくるのだと思う。

なにかにこだわることは、決して悪いことではない。もし、こだわることにこだわるとしたら、それはおそらく〈こだわり方〉にこそこだわるべきなのだ。形はどうでもいいのだ、こうありたいと願う気持ちが形を造るとぼくは考えている。もっと言えば、俳優としての姿勢や生き方が、そこから見えてくるはずだ。

〈映画しかやらない〉という友人の言葉は、日本の俳優として贅沢な希望なのかもしれない。ぼくの知る限り、限られた俳優を除けば、その多くはオファーを待ち続けているのが現状だと思う。

僕は、〈……しかやらない〉という場所(現場)に身を置くことにさほど魅力を感じていない。むしろ、〈できるかもしれない〉という場所に居たいのだ。おそらく、やり続けていく中で自然と〈やりたいこと・やらないこと・できること・できないこと〉が見えてくると、ぼくは考えている。

まぁ「やってみなきゃあわかんない」……これが、実感だ!

 

・「音楽と人」2002年6月号掲載