ことば

COLUMN

第4回「はじまりは柳沢だった その1」

日韓共催ワールドカップ。

世界中の多くのサッカーファンが、この1ヵ月間〈激動の夜〉を過ごすことは間違いないだろう。そして、ぼく自身もその中のひとちになることをここに宣言します。ウーン、浮き足立っている日々!!

「大杉さんは、鹿島アントラーズの柳沢選手が好きなんですよね」

「ええ、ずっと応援しています」

「なぜ柳沢選手が好きなのか……そこを中心とした大杉さんのサッカーへの思い入れをドキュメンタリー番組として追いたいですけど……」

その打ち合わせに立ち会ったプロデューサーやスタッフの方々は、本当にサッカーに詳しく、そして何よりもサッカーを心から愛していることが伝わってくる。

そこで僕は、ひとつの提言をさせていただいた。

「柳沢選手について語るのはいいのですが、実際に会ってお話を聞く形は避けたいのです……あくまでもサポーターの立場からエールを送るという形にしたいんです」

実際これまで二回、柳沢選手と会う機会があった。話す時間もあったのに、いざ本人を目の前にすると」何をどこから喋っていいのかわからず、ぼくは立派な〈シドロモドロおじさん〉になっていたのだ。そして、やっとの思いで口に出た言葉といえば……。

「ああっ、ぼくは……そのォ、柳沢君のファンでして……がんばってください……写真、一枚いいですか!?」

お分かりいただけるだろうか。まさにファンの王道、あるいは一方的片想い恋愛者だったのだ。

高校時代(富山)から柳沢選手は、注目されていた。センターフォワード(今はトップと呼ぶ)として、縦・横・斜めと奔放に切り込んでいく姿に「近い将来、日本代表のFWになる」と感じたのは、ぼくだけではないはずだ。その切り込んでいく姿の美しさだけに惚れたといっても過言ではない。そして、もうひとつの理由をあげるとすれば……ウーン、あげるとすれば……エエイ、言ってしまえ! 大いなる誤読や哄笑(こうしょう)を恐れず理由をあげるとすれば、ぼくも高校時代から今日まで35年間、センターフォワードをやっている。

そう、柳沢選手とポジションがかぶっているのだぁ!!

もちろん、誰からも注目されたこともなく、ひたすら目立たぬ草サッカーの正しき道を歩んできたぼくとプロである柳沢選手は、住んでる世界が違うことは重々に承知している。スタジアムやテレビで観る彼のプレーに、ぼくの理想とするセンターフォワードの姿をだぶらせているだけなのかもしれない。

かつて、ぼくは柳沢であったことは一度もない。

正しく言えば、柳沢のようになりたかったサッカー好きのオヤジに過ぎないのだ。

ぼくは、唐突にこう言った。

「あのォ、高校生とサッカーをやりたいんですが……」

「えっ、高校生って?」

「ええ、ぼくが卒業した徳島の高校へ行って、彼らの部活の練習に参加したいんです」

高校を卒業して32年、ぼくは一度も母校を訪れたことはなかった。しかし、今でも当時のサッカー部のメンバーとはつきあいもあるし、帰省したときには、相も変わらぬ〈昔のまんまのお馬鹿な時間〉を彼らと過ごしている。にもかかわらず、これまで母校に行くことは一度もなかったのだ。

「高校の裏手にある吉野川で授業をさぼって、いつも遊んでましてね。ただ部活だけは休まず熱心にやっていたんです。ぼくにとってサッカーとの出会いは、あの石ころだらけのぬかるんだグランドから始まっているもんですから……ええっと、そこに行ってボールを蹴ってみたいんです。そして、もし叶うならば今のサッカー部員と練習したい」

「なぜ?」という大きな理由はわからない。恥ずかしくなるような郷愁やセンチメンタルであってもかまわなかった。それが、今回の番組の趣旨とどう結びつくのか、どう終着するのか……わからなかったのは、僕だけではない。

「大杉さん、行きましょう。とりあえず行ってみましょう!」

太っ腹なプロデューサーの一声でぼくの徳島行きは決定した。

 

〈サッカーとは、文化だ! 人生そのものだ!〉

そう言い切るイングランド人がいる。ぼくには、そこまで言い切る自身も経験もない。しかし、人生の一部であることだけは間違いないと思っている。

VIVA SOCCER!! なのである。

(来月号に続いちゃいます)

 

・「音楽と人」2002年7月号掲載