ことば

COLUMN

第6回「母と心配」

W杯の喧騒も終わり、たっぷりとその中を泳がせてもらった。陸に上がったぼくは、相変わらず若い人達に混じって草サッカーに興じている。息が上がろうが、足が攣ろうが、楽しいことを止める理由は、どこにも見当たらない。サッカーは、やるのが一番!

 

嵐の過ぎ去ったロケ現場にいる。風がくうだるよねえ、夏だもん〉と教えてくれる。キラキラ平る湖面は、ぼくにささやかなく人生〉とやらを考えさせたいらしい。

ボクハイキテイマスカ……。

 

唐突だが、母のことを書こう。

母は、京都生まれの今年87歳だ。生家が、副業として下宿屋を営んでいた。そこに下宿していたのが、ぼくの父だった。母の言葉を使うなら、くごっつう熱い恋愛〉だったらしい。

二人の子供が生まれた後、父は学徒出陣、母は戦争未亡人になる覚悟をしていた。しかし父は遠い南の島から最後の船で帰国した。その後、徳島で教師となり、三人の子供が生まれた。五人兄弟のぼくは、末っ子だ(B型・天秤座)。

父・正雄、母・昌子。

ぼくには、父とゆっくり話したという記憶がほとんどない。父は、家では寡黙な人だった。

ぼくの所属していた転形劇場の舞台を観てくれた時も「ウーン難しいて……わからんなあ」とポツリと言うだけだった。しかし、行き先知れずのアンダーグラウンドなぼくを、批判することも「そんなこと、やめてしまえ」とも言わなかった。1982年、釣りと酒が好きだった

父は、死んだ。

母は、今でも枕元に父の写真を飾っている。「寝るときにな、お父さんにオヤスミナサイって言うんよ」。………現在も、老いた母のくごっつう熱い恋愛〉は生きている!

 

先日、足が骨折で不自由になり、リハビリ中の母に会って来た。

「今度、いつテレビ出るん?」。母の口癖だ。息子が元気なのか、今はどうしているのかをテレビで知る。「お前がテレビに出てないと、心配でなあ………」。母は、真性のく心配好き〉なのだ。心配することが、ここまで生き続ける力になったのではないだろうかと思えるぐらいだ。50歳になった息子のく将来〉を心配している。

「今年もな母さん、徳島で映画の上映会とライヴやるんや」

「わたし、行くけんな」

「なに言うてんねん! リハビリ中やんか。無理やろ………」

「いや、車椅子に乗って行く!」

 

おそらく、母は来る。そこにいる息子の姿を見て、ひとときの安堵を得る。そして、また新たな心配事を見つけるはずだ。

 

ぼくにとって唄うことは、仕事ではない。ギターも歌も素人だ。この年齢になって出会ってしまったく趣味〉、そうサッカーも歌(バンド)も楽しむものなのだ。しかし、楽しむということは、同時に苦しむことでもあるんだなと痛感している。今回のライヴで「その朝」という歌を唄う。寒い朝に母が突然死んだという内容だ。そんな歌を、ぼくの母はどんな思いで聴くのだろうか。

どうやらぼくは、間違いなく母の血を受け継いだようだ。

く心配性の男〉が、ここにいる。

 

・「音楽と人」2002年9月号掲載