ことば

COLUMN

第11回「大阪」

舞台公演も終わり、元通りの移動の日々。

某月某日、大阪NHKで朝ドラの撮影日。膨大なセリフをこの二時間あまりの移動の中で確認しなければならない。よし、がんばってみるか! おっと、その前にトイレへ……通路を歩き出した、その瞬間だった。

「兄貴ィ! 兄貴でしょ!」

クリスタルキングの高音担当ボーカリスト風な声が聞こえた。

「ああ、やっぱり兄貴や。観てまっせ、兄貴。いっつも応援させてもろてますぅぅぅ! この間も観ましたでぇ、腹切って腸までだして、カッコよろしいなぁって……ワシ、えらい感動して……いやぁ、映画と一緒や、渋いでんなぁぁ、兄貴!!」

どうやら彼が兄貴と呼んでいるのは、その場に突っ立っていたぼくのことらしい。腹を切って腸まで出してとは、北野監督『BROTHER』でのワンシーンでぼくが演じた〈原田〉というヤクザ役のこと……だろう。

「ああっ、いや、どうも……」ぼくは短く答えた。

「あらぁ、声まで映画と一緒や、低い声でんなぁ。うわぁええわぁ兄貴!」

そんな兄貴兄貴って、ぼくは四人兄弟の末っ子だからそんな風に呼ばれることに慣れてないんだ。

「はい、ありがとうございます」

ぼくは、彼に一礼してトイレに行こうとした。

「兄貴、こんなことは一生に何度もあるもんやないですわ。これも〈縁〉でっせ。あっちの席で一杯……おやっさんもいるんですわぁ」

ぼくに答える間も与えず、彼は半ば強引にぼくを引っ張っていった。

「おやっさん、紹介しますわ。こちら、ええっと……おお(顔を思いっきり傾けながら)……おお、あれ、えらいすんまへん、なに漣さんでした?」

オイオイなんだよ、声かけたんだからさぁ、名前くらいちゃんと覚えとけよ! ちょっと傷つくだろ……そんな心の動揺も悟られないように、

「あっ、大杉です」

「ああっ、そやそや、その漣さんや、大杉漣さんですわぁ! ほらもう、ヤクザいっぱいやらはって……これがまた怖いんでっせ。ワシ、ものごっついファンなんですね。今そこで偶然会いましてな、おやっさんに会うてもらおう思いまして……」

「ああっそうか、はじめまして。ああ、ウチのがご無理言いまして……まあまあどうぞ、お座りください」

地味目のスーツを着た〈おやっさん〉と呼ばれる人は、紳士然とした柔らかな表情でそう言った。

ああ、どうよ! どうよどうよこの状況!! 確かにぼくは、これまで映画やテレビで数多くのヤクザ役を演じてきたが、これまで一回も〈ほんまもん〉の方にリサーチしたことはない。ここはひとつ、今後のためにも……と覚悟を決めて……ぼくはおやっさんの横に腰を下ろした。

「一杯やりませんか」

「いや、このあと仕事がありますから」

「大阪ですか?」

「あっ、はい大阪です」

「『まんてん』ですか?」

「ええ『まんてん』です。あっ、ご存知なんですか」

「観てますわ、毎朝。朝ドラはねぇ、こんまい(小さい)時から観てるんですわ」

「ああっ、ありがとうございます」

「どうなるんですかねぇ?」

「なにがですか?」

「いや、これからの『まんてん』は……」

「いや、ぼくらも台本がギリギリに渡されるもんですから、今後の展開を楽しみにやってるところです」……なんだか少し嬉しかった。

「まぁ、がんばってください、サインもろうてもよろしいですか?」

「ああっ、わしもぉ……漣さん、ワシにも書いてください」

二枚のブランド物のハンカチが渡された。

ええっと、いつもなら〈あるがままに〉と書かせていただくのだが。こういった場合、どう書けばいいのだろうか。そんなことを妄想しながら〈あるがままに 大杉漣〉と書き記した。

「がんばってください」

柔らかな表情でおやっさんは、ぼくに握手を求めた。指が一本欠損していた。

「ありがとうございます、それじゃあ」

あっそうだそうだ、トイレだった。

海水浴からあがった時の男性器が、そこにはあった。

ああ〈ほんまもん〉か……。