ことば

COLUMN

第13回「兄のこと」

先月号の〈兄〉について、もう少し書きます。

ぼくにボブ・ディランを教えてくれたのは、一番上の兄・洋一だった。

ディランを知ることで、その後日本のフォークやロックにたどり着く事になる。

今更ながら〈出会ってしまった音楽〉なのだと痛感している。

 

兄は、29歳まで学生だった。といっても学校に行っていたわけでもなく、ただ在籍していたというだけだ。全共闘運動が下火になり、ほとんどの活動派学生がリクルートマンに変身していくことに「アイツら、なんやねん」とつぶやいていた。多くを語らなかったが、小説を書きたいんだと夢をポソッともらした事もある。特にフランス文学が好きで、ぼくにも読めと数多くの本を薦めてくれた。年季の入った〈彷徨人〉だったのかもしれない。よく二人で東京をフラフラとほっつき歩いた。あり余る時間の中、パチンコ屋にも頻繁に出入りしていた。当時のパチンコは、今のようなハイテクではなく、手動式で玉を一個ずつ穴に入れて打つのんびりしたものだったが、兄は〈かため打ち〉といって一度に10個の玉を打ってしまう特殊技術を持っていた。一度開いたチューリップが、閉じることのない状態になってしまうのだ。職人気質の親方が弟子に伝授するかのように、兄はその技をぼくに伝えた。

新宿で二人共々、大勝ちした日。

「孝、おまえゴールデン街って知っとるか」

「知っとるけど、前にひどい目におうたから……」

そう、〈キャッチバー〉。簡単に言えば、ぼったくりだ。ああ、今でもくやしさがぁ!!

「そんなんと違うって、行きつけの店に連れていったるから」

いかにも東京・文化村という店だった。

真っ黒なサングラスに柳屋のスティック・ポマードで長髪を七三分けにし、ベルボトムジーンズに下駄! なんやお前! こやつがまた小難しい話をしていて、横にいる女の尻を触っている。喋っている時にそんなことするなぁぁ! 女も女だ、「ああ、でもさぁ、今の日本てさぁ……」なんて、サブカル気取りの態度。尻触るか、日本を語るんか、はっきりせえゆうねん。まちがいなく横山やすしさんだったのだ、その時のぼくは!

「洋ちゃん、出よ! こんな店嫌いや」

「なあ孝、おまえ女知っとるんか?」

「なに言うねん、急に」

その時のぼく、微妙だった。知ってるようで知らないようで……へへへ。

「まぁ、知っとると言えば知っとるし……」

「ほな行こか!」……軍資金はあった。

 

山手線・駒込。見事なパープル色のネオンサイン。そこに屹立する堂々のトルコ(今はソープランドという)の看板。生まれて初めての風俗なんだぞおぅ。

「パチンコで儲けた金でチンコ遊びや」

兄は、ぼくの緊張をほぐすために関西風味のベタな言葉を吐いた。

(以下、大杉兄弟のプライバシー保護のため、内容詳細省略!)

トルコ帰りのガード下で「東京は広いなァ」と全く意味不明のことを兄が吐く。

「孝、バイト先で知りあった娘とワシ結婚しよう思てんねん」

風俗行った後に言うか!そんなこと。

「これ、やる」

別れ際に一枚の馬券をぼくに渡した。

後にわかるのだが、それは、彼が一生に一回だけ当てた万馬券だった。

 

洋兄ちゃんは、その後結婚し4人の子供にも恵まれた。「気楽に生きることが一番やねぇ」。それがいつもの口癖だった。

11年前、ぼくはドラマの撮影で北海道にいた。そこに家から突然の電話が入った。

「どうした?」「あの……亡くなったの」「だれが……?」

当時母が、具合を悪くしていた時期だった。母が死んだのかと咄嗟に思った。

「あのね、洋ちゃんが……亡くなったの」

なんでやねん! 享年50歳だった。仕事の激務での突然死。つい一週間前に会ったばかりだった。なんでこんなことになんねん!

ずっと書こうと思っていたんだ、兄のことを。ぼくは今年、51歳だ。

 

「音楽と人」2003年4月号掲載