ことば

COLUMN

第14回「二人のマタギ」

中国・ハルピンに映画『赤い月』の撮影で出かけた。

スタッフの話では、ロケ地はとても寒い場所だそうで、氷点下30度になる日もあるらしい。とにかく完全なる防寒状態で参加してくれとのこと……。

「以前ね、北海道の網走で氷点下20度という状態で撮影をやったことがあるんですよ」

「漣さん、中国の寒さと北海道の寒さは、全く質の違うものでしてね、温度が低いから痛いんです。なんかね、こうピシィーと肌が切れる感じというか……鼻毛ありますよね、その鼻毛がね、濡れているとこうポキッと折れるんですから!」

「じゃあ、帰国したら眉毛も睫毛も鼻毛もない、のっぺらぼうの俳優になるんだぁ」

そんな顔を想像してみた。おかしかった。

「漣さん、これは大袈裟や脅かしじゃあないんです。とにかく出来る限りの防寒着をお願いします」

早速、登山専門店で大量の防寒用品を購入。それらすべてを身に付ければ、間違いなくぼくは、南極越冬隊員にだってなれると思った。

 

さて、いよいよ成田から撮影地・ハルピンだ。本隊は先に中国に行っていた。

ぼくは、俳優兼通訳の銭波(せんぱ)さんと二人でハルピンに出発した。銭波さんは、NHK・BSで「チャイナタウン」という番組で司会をやっていて、ぼくら日本人が忘れてしまった綺麗な日本語を喋る方だった。

「あっ、大杉です」

「銭波と申します。どうかよろしくお願いいたします」

あらぁ、彼もぼくと同じサイズの巨大なスーツケースを持っているではないか。スタッフの助言よろしく、銭波さんも南極越冬隊員モードに突入したいたのは間違いない。

「なんせ、氷点下30度ですからねぇ……」

ぼくらは、〈生真面目な冒険者〉だったのだ。

機中、なぜ彼が日本に来たのか、今中国はどうなっているのか、上海はニューヨークよりもエキセントリックであるとか、いくつも興味深い話を伺うことが出来た。

北京からは、中国の国内航空に乗り継ぎハルピンに向かうことになっていた。ぼくらは、北京でハルピンファッションに着替えることにした。

「銭波さん! ファファハハハハ」

「大杉さん! ファファハハハハ」

北京国際空港に日本から来た二人の〈マタギ〉がいた。これから山に熊でも撃ちに行くのでしょうか! 猟銃を肩に背負えば、ぼくらは年季の入った立派な東北の〈マタギ〉だったのだ。

「いやぁ、なんせ、氷点下30度ですからねぇ……」

「そうです、今は厚着ですが、これくらいは着ていないと……でも大杉さん、それにしても着過ぎじゃあないですか、ファファハハハハ!」銭波さんは、屈託なく笑う。だって、ぼくたちは冒険者なんだよ……。

ハルピンに向かう国内航空にぼくらは乗り込んだ。乗客に日本人はいなかった。もちろんマタギも乗ってはいない。所要時間1時間45分。ところが、なんてことだ。暖房が効き過ぎているではないか! 前にいるロシア人らしきツーリストは、なんと半袖シャツ一枚かよ! 嗚呼、ぼくたちは、〈ふたりだけの我慢大会〉を味わうことになってしまったのだ。だってぼくの着ている下着は、エベレスト登山隊のものだんだよ。それ一枚でも暑いんだから……いまさら脱ぐのも悔しいし、なんらかの敗北感を味わうのも嫌だし、このままハルピンに行ってやる! 絶対にぼくは脱がない! 見れば、銭波さんも完全黙秘の犯罪者のように焦点の危うい目つきになっている。このまま飛び続ければ、間違いなく3キロはダイエット出来たであろう。

そして、とうとう依怙地な冒険者二人は、ハルピンに到着したのだ。なにかを成し遂げた勇者のように、小さな握手を自然に求めた。

「いゃあ、大杉さん、銭波さん、お疲れ様です」

ハルピン情報を教えていただいたスタッフ・城戸氏が出迎えに来てくれていた。

「はいっ、やっと。辿り着きました」

「じゃあ、ホテルに行きましょうか」

ぼくらは、空港の外に出た。

「あれっ、城戸さん! これっ……ハルピン……氷点下30度……あれっ?」

「そうなんですよ、大杉さん! 今年は異常気象とかで、寒くないんですね、ぼくらも拍子抜けです」

彷徨えるマタギ二人……。

ロータリーの寒暖計は無情にも0度を表示していた。それは東京と同じだった。

 

「音楽と人」2003年5月号掲載