ことば

COLUMN

第15回「冷静なる情熱」

気がつくと桜は、散っていた。

そして、思う。ぼくは、あと何回の春夏秋冬を味わうことが出来るのかと……。

 

ここ二ヵ月あまり「情熱大陸」というドキュメント番組の撮影があった。映画・テレビ・CM……ぼくの出向く様々な現場に彼らは帯同し、キャメラは、当然ぼくに向けられた。

日頃、撮られる側にいるにもかかわらず、現場に〈もうひとつの目(キャメラ)〉があることに躊躇した。

「大杉さんは、いつも通りにしていただければいいですから。ぼくらは、それを撮るだけですから」

確かにドキュメントとは、そういうものなのだろう。

“普通でいようよ、自然であろうね”そう自分に言い聞かせながらも常に撮られているという意識は、拭い去ることは出来なかった。そんなこと出来るわけないじゃん! だって撮られてるんだよ。

「大杉さんにとって、演ずるとは?」

「ええっ、そんなぁ……そうだなぁ、よくわからないですねぇ。だから、演じ続けているのかなぁ……だって、うまい俳優さんはたくさんいるし……ぼくは自分の演技をうまいと思ったこともないし……そりゃぁ、うまくなりたいとは思うけど……俳優の魅力は、それだけではないと思うし、でも存在感があるとか個性派とかいう妙に便利な表現も好きではないし……ものを創ることそのものが面白いわけでしょ。理屈じゃ現場は動いてないですから。いくつになっても考えるというか、宿題のようなものを与えられているわけで……だから、演じることは……」

答えになっていない言葉を続ける。そして、ぼくは気づく。無意識に自分の左横顔をキャメラに向けていることに……そう、告白しよう。ぼくは右横顔から撮られるより左横顔の方がお気に入りなのだ。取材や写真撮影の時も左横顔を相手に向けることが多い。特に〈重い話〉は、左横顔で語ることにしている。だから、ぼくが左横顔から語りだしたときは、「おおっ来る、来るよぉ。シリアスがぁ! ほらぁ来た!」と思っていただくといいかもしれない。いやいや、そんなことじゃあないんだ。ええっと、なんだっけ、そうそう「情熱大陸」のことだ。

キャメラに向かって何かを語るということは、すでに公・パブリックなのだ。決して友人との暢気な四方山話では済まされなくなるのだ。だからといって、ぼくは視聴者のみなさんに何を語り伝えればいいのか……そもそも語り伝えることなどあるのだろうか。ぼくの仕事の情熱を見てください! ぼくの夢はこれなんです! そんなことを大きな声で喋る奴は、ぼくは好きじゃない。そう、これまで過ごした人生の図式を示し、説明を加えながら、だからこうなったんだと言えば、分かりやすく納得していただけるのかもしれない。苦労話の人生波瀾万丈。しかし申し訳ないが、ぼくの興味はそこにはないのだ。

〈自分のことなんてわかりません。これから先もきっと……〉

正直、そんなところだ。

本当にやっかいな〈対象者〉だったかもしれないが、情熱大陸のスタッフは、根気よく執拗にぼくにつきまとってくれた。終盤には、奇妙な連帯感が生まれたといっても過言ではない。

「大杉さんって、不思議ですよね。飽きませんよ。ええっと、これ、ぼくが以前撮った作品ですよ。よかったら観てください」

情熱大陸のディレクター・稲葉さんは、そう言いながらぼくに一本のビデオテープを渡した。タイトルに「笠智衆」と書かれていた。笠さんが亡くなられる何ヵ月か前まで撮り続けたTVドキュメントだ。

その作品は、〈日常の笠さん・現場の笠さん〉が淡々と綴られた秀作だった。ただ、鎌倉の町を歩くだけ……蕎麦を食べるだけ……縁側に坐っているだけ……なんの気負いもなく、笠さんはそこにいた。そして、笠さんはポソッとこう言う。「男は、泣くな・笑うな・喋るな」と……父からの教えをずっと守り通したらしい。そして、〈演技〉について「監督に言われるままに演じておりました。何度やってもうまくいかんこともあります」と正直に語られていた。自分が、笠さんの足元にも及ばない俳優であることは充分承知だ。しかし、〈笠さんの姿〉に触れることで大きな勇気を与えられた。

そして今、これだけは左右のどちらの横顔ではなく、正面顔で言ってみたいのだ。「ぼくはね、これから先もまだまだ泣くし、笑うし、喋り続けます」とね。さまよえ、大杉!

 

「音楽と人」2003年6月号掲載