ことば

COLUMN

第16回「100歳デュオ」

「大杉さん、遊びませんか?」

それは、俳優・佐野史郎さんからの突然の電話だった。

「今度、吉祥寺音楽祭があるんです。大杉さんと一緒に唄をやれればなぁと思いまして……高田渡さんも出演されます」

「いやぁ佐野さん、ぼくはまったくの素人ですから……そんなぁ」

「ぼくも今回バンドではなく、ひとりでやろうと……で、何曲か大杉さんと」

「でもぼくは、下手ですよ。おもいっきり迷惑かけちゃうんじゃないかなぁ」

そんな風に答えつつ、ぼくの脳裏には佐野さんと二人で舞台に立ってる〈唄好きのおじさんデュオ・史郎&漣〉の姿が浮かんでいた。

「じゃあ、スケジュールさえ空いていれば、遊ばせていただきます」

どうかスケジュールが空きますように! 無骨な手を合わせてみた。

 

ぼくの仕事は、ロケーションが多いため天候等の条件によりギリギリまで予定まで出ない場合がある。佐野さんのお誘いの返事もなかなか出来ずに本番当日が迫っていた。佐野さんご自身もイタリアで行われるアジア映画祭のゲストでしばらく日本を離れ、帰国するのは本番前日と聞く。お互い連絡を取り合えたのは、本番当日だった。

「あっ、佐野さん。ええっと、夕方から身体空きましたから……参加させていただきます」

「本当ですか、嬉しいです。ええっと練習してないですよね。とりあえず、ぼくの家で音あわせをして、あとはブッツケということでどうでしょう!」

考えてみれば佐野さんとは、何本か映画の共演があるにもかかわらず、同じシーンで演じたことも話したこともあまりない。それなのにこうやって二人で音楽をやろうとしている。生業でもないのに人前で恥を背負いつつ身体を晒されてみたいと思ってる。好きに理屈なしということなのだろうか。

「じゃあ、これとこれで……ええっと、コードはGからですね。ここでリフレインして、最後は3回繰り返しということです……はい」

打ち合わせ5分、練習10分といったところだろうか。ぎこちなく楽しい!

「あっ、そろそろ行かないと、出番の時間ですね」

佐野さんの自宅から小さな通りをトボトボ歩いて、会場の吉祥寺北口広場へ向かった。30年前、ぼくはこの街に住み、行く当てのない日々を過ごしていた。立ち読みばかりしていた本屋も、アルバイトで世話になった酒屋も、恐ろしく不味いラーメンを出すのに愛嬌のあった中華屋も……そのすべてが消えていた。

「佐野さん、このあたり変わりましたね」

「ええ、めまぐるしいほど変わりました」

ぼくらは……いや、ぼくは変わったのだろうか。

 

100歳フォークデュオ〈史郎&漣〉会場に着く。

まさに駅前に仮設舞台が作られ、すでに数百人のお客さんがそれぞれのスタイルで音楽を愉しんでいた。ああっ、ここで唄うのか! 抜けるような黄昏れた空が、そこにあった。ぼくらは、舞台裏にある即席の楽屋に案内された。

「あっ、大杉さん。いやいや、久しぶり……まあまあ、どうぞ」

ビールが差し出された。高田渡さんだった!

「あっ、渡さん! いやあ、なんだかこんなことになってしまって……」

「いやいや、まあまあ……ひとつ楽しんで、ねえ。あっそうそう、漣もいますよ」

渡さんの息子、ミュージシャン高田漣さんも参加していた。実は、大杉漣の〈漣〉という字は、彼からの授かりものなのだ。

渡さんは、酔っていた。いつものように〈たゆたう姿〉があった。いつから彼が酔っているのかわからないが、渡さんは、いつでも気持ちよく酔っている。

「まあ、大杉さん。気楽に……ね。歌なんてものはね……まあ、ね……」

唄い続けて30数年、〈武蔵野の人間国宝〉と呼ばれる高田さんの言葉は、いつも尻切れで終わる。本質を語らず、本質を感じさせる名人でもあるのだ。

 

佐野さんのステージが始まった。

「ええっと、今日は友人の大杉漣さんが、ゲストとして……じゃ、大杉さーん」

〈歌なんてものはね……〉渡さんのさっきの言葉の先を考えながらステージに向かった。

生き急ぐ大国が、戦争は終結したと言っている。彼らは、なにに勝利したというのだ。

ぼくは、がむしゃらに唄いたかった。

レパートリー曲も少ない中、加川良さんの「教訓㈵」と「伝道」を佐野さんのギターと共に唄った。申し訳ないが、気分はすこぶる良かった。

行きかう人、家路を急ぐバスの乗客、駅のホームに佇む人たち……。

聞いてもらいたいと思った、おじさんの真剣な戯言を!

〈命はひとつ、人生は一回、だから命を捨てないようにね……〉

 

ぼくは思う。歌なんてものはね……答えなんてどこにもありゃあしないのだ!

 

「音楽と人」2003年7月号掲載