ことば

COLUMN

第18回「気軽な青空」

今日も、外は曇っている。

「全てのものが、はっきり見えるのは曇り空だ」と言ったのは、画家セザンヌだったっけ。それなのに、ぼくは自分のことをどんよりと考えている。はっきりとなんて見えてない。若い頃からずっと同じことばかりを考えている。自分について、あるいは自分を取り巻くごく限られた世界について考えている。進歩か退化かわからない。わからないが考えている。じゃあ考えることを止めればいい。すると考えない考えないと努力している自分を考えてしまう。どないやねん! だったら考えればいいのだ。つまり漫然とした自己というもの、そのやっかいなものに一生振り回されて生きていけばいいのだろう。

あっ窓が急に明るくなったようだ。雲の切れ間から夏の青空が見えた。なんだか嬉しかった。もしかしたらぼくは、この〈一瞬の青空〉を見るために膨大な〈曇りの時間〉を過ごしているのかもしれない。「かもしれない」というところに、曖昧なぼくの人生は転がっている。

 

「大杉、今年のライヴはどんな形にする」

徳島のゴンタクレ仲間から電話をもらう。

「うーん、どないしようかな。考えてんねん」

故郷・徳島での年一回のライヴ、今年で三回目になる。地元のミュージシャンや友人の力を借りて、あえてスポンサーなしで気持ちと手足だけでやってきた大切な祭りだ。

「いやぁ、やりたんやけど……今年はどうするか、ちょっと考えてんねん」

躊躇する自分がいる。去年までと同じやり方をすることも可能だろう。それでもぼくたちは、ライヴを充分楽しめるだろうと思った。〈これで食っていないんだもん〉という健全な居直りもある。つまり、趣味なんだ。趣味なんだから気楽にいきゃあいいんだ! 正直、そう思っていたのだが……気楽にいくために少しだけ遠回りしたくなった。苦しんでみたくなった。そんな感じがあったのだ。

 

ぼくは、サッカーが好きだ。この歳になってもフルコートに立っている。もちろん走れない。蹴ってもボールは飛ばない。身体も動かない。トップ(FW)としてゴールも遠のいている。PKすら決められない。いや、この頃は蹴らせてももらえない。キャプテンなのにチームとしては本当に厄介な〈お荷物君〉だ。間違いない。イレブンからのきつい叱咤激励があったからこそ、ここまで続けてこられたんだと思っている。引退するのは簡単だ。だれにも惜しまれずにピッチを去ることができる。でもね、やめないんだ。だれがなんと言おうとぼくはサッカーを続ける。立派なお荷物君になってやる。人に思い切り〈迷惑掛ける君〉になる決意なのだ。なにがそこまでそうさせるかだぁ!? それはですね……「愛です」。ああっ、言っちゃった。そう、サッカーへの愛、サッカーが好きな自分への愛、サッカーを愛する全ての人々への愛……こう考えることによって、ぼくはサッカーに対して気楽になれたのだ。強引を承知で言うならば、気楽な愛を手に入れるためには、時間と苦しみが必要ってことさ。

 

さて、ライヴだ。

場所は、即決だった。二年前に閉鎖になった映画館。今は人の寄り合わなくなった闇のある空間。電気も水道も止められ、埃に包まれたスクリーンと客席。まずは、ゴンタクレたちが映画館の掃除からはじめる。そのことを「大杉連は、徳島の活性化のために……」などと新聞に取り上げられた。イヤイヤ正直言おう。そんなんじゃあないんだ。活性化なんて……確かに人に元気がなく、街に勢いがないのは知っている。でもね、はっきり言っておこう。ぼくたちは、自分たちの手と気持ちをかけた祭りを元映画館で楽しみたいだけなんだよ。着地点はどこなのか、そんなことはやってみないとわからないんだ。「あっそうや、タイトルなんやけど……『夜の青空』にするわ。なんかな、映画館って闇やんか。そこにな、数時間だけでも〈青空〉が見えたらええなぁって、そう思うねん」。単なる思いつきにすぎないことが、具体的に走り出していく。理屈をつければつけるほど、やりたいことが遠のいていく。だから、シンプルに行く。

目下のところ、大杉は苦しんでいる。気楽に行くための遠回りかもしれないが、苦しんでいる。馬鹿として転がるために、めいっぱいの冷や汗と恥をかくために、そして青空のために……。

 

「音楽と人」2003年9月号掲載