ことば

COLUMN

第24回「ロンドンに行く」

ぼくの息子のことだ。

去年の春頃だっただろうか、突然「留学したい」と彼は言った。

「俺、ニューヨークかロンドンに行きたいんだけど……」

現在最もテロの標的とされている場所、いやそんなことを言えばここ東京だって安全地帯じゃあない。反対はしなかった。明確ではないにしても彼なりの理由と意志がそこにあると感じたからだ。

ここではない別の場所……家族と離れ、言葉も違う国でひとりで過ごす。

ぼくの素直な感想、ぼくだって留学したい!

そして現在、彼はロンドンに住んでいる。

 

元旦早々、成田から初めてのパック旅行でロンドンへ。

12時間のフライト。途中三回の機内食。ただひたすら食べて寝た。一年間の現場の疲れを癒すごとくコンコンと寝た……と思ったら「お食事です」……ぼくはブロイラーかぁ!

ぼくにとって20年ぶりのロンドン。

久しぶりの息子との再会。痩せていた。

「元気か」

「うん、元気だよ」

「どう、ロンドンは?」

「うん、学校大変だけど楽しくやってる」

「痩せたね」

「えっそう、こっち物価高いから……特に食べ物が」

なんでもない会話。しかし、新鮮に感じた。

20年前、ぼくも劇団の公演で一ヵ月過ごした街・ロンドン。パディングトンにあった労働者が多く泊まる安宿からバッキンガム宮殿近くにあるICA劇場まで二時間、地下鉄にも乗らず毎日ほっつき歩いたっけ。金もないから中東の羊肉〈ケバブ〉ばかり食べていた。たまに行ったチャイナタウン〈利口福〉の中華料理の美味いこと。街のあちこちにはタンクトップのゲイとTATOOありのパンク野郎が溢れかえり、ピカデリーサーカスには行き場のないバックパッカーたちが、朝の訪れを待っていた。ぼくたちの芝居もロンドンで評判になり、チケットはSOLDOUT状態。新聞は激賞し「日本の沈黙劇、名付けようのない美しさ……」などと評していた。終演後には、ロビーでたくさんのロンドン文化人たちが酒を片手に東洋から来たストレンジャーについて訳知り顔で語っていた……。

あれから20年、当時一歳だった息子が今そのロンドンに住んでいる。

「〈利口福〉っていうところの中華食べに行こうか」

「久しぶりに腹いっぱい食べていい?」

「ああ、いいよ」

冷たい雨の中を僕達は歩いた。20年前となにも変わらずその店はあった。チャイナタウン〈利口福〉だ!

安普請のレイアウト、無愛想な店員、すべてが当時のまま健在だった。

家族の最後の晩餐じゃあないんだからというぐらい食べた。

「ここに多少は慣れた?」

「うん、俺今までこんなに勉強したこと初めてかもしれない。マイノリティに対してのあからさまな差別もあるけど……自分で決めたことだし、全部自分でやらなければ誰もやってくれないしね」

ぼくは、彼がなにを目指しているのか知らない。知る努力もしていない。

たとえ息子であろうと、それは彼が見つける以外に方法はないと考えている。彼自身もそのことについてぼくには語らない。多くの若い人たちがそうであるように彼も〈彷徨の波〉に揉まれている。

 

ロンドン五日間の旅といっても前後二日は飛行機の中。あっという間の駆け足の旅だった。

「元気でな」

「うん、お父さんも……身体気をつけて仕事がんばって」

「うん、だいじょうぶ」

ゲートに入る時に振り向いた。息子はまだそこに突っ立っていた。手を振った。恥ずかしそうに振り返してくれた。彼は、ぼくの家族だ。

 

成田に到着した時、携帯が鳴った。事務所からだった。

「ああ、大杉さん。予定時間に無事着きましたね。よかった!」

ぼくはその足で新しく始まる連ドラ「僕と彼女と彼女の生きる道」の制作発表に向かった。

親子の絆を描いた家族のドラマだ。ぼくの2004年が始まった。

本当のことを言おう、ゆっくりと時差ボケを味わいたかった。

(今月は親バカな話でした。)

 

「音楽と人」2004年3月号掲載