ことば

COLUMN

第27回 「泳ぎ出す」

高層ビル群の頭上を飛行機が飛んで行く。

東京が、グランドゼロになる可能性だってあるんだよね。

日本に生まれ育ったぼくたちは、この国に誇りを持てるのだろうか。

イラクで人質となった五人の日本人が何故あれほどの批判の対象になるのか。

「無事でよかったね」の花束ひとつないのかよ。こんなに懐の浅い国だっけ。この国に彼らのような意志ある人間がいることをぼくたちは誇りに思うべきなんじゃあないのかな。自己責任って、そう言っているお偉いさんの責任はどうなの。悪いけどフカフカのソファにふんぞり返ってもっともらしいこと言われてもリアリティないって。国に出来ないことを彼らはやろうとしていたんだよ。思いやりのない言葉が大手を振って歩く時代は、やっぱりヤバイと思う。

 

さてと、映画「村の写真集」の舞台挨拶で徳島に帰った。

久しぶりにゴンタクレ実行委員会のメンバーとも再会。歳を取ることも悪くないねと感じる。一気に昔話に突入する。30年以上も前の話を昨日の出来事のように……何度も何度も繰り返し口にする。それを肴に酒を重ねる。わかっちゃいるけどやめられない自虐的快感!

「で、大杉! どうするん今年は?」

「ああっ、ライヴ?」

ぼくも楽しみだが、ゴンタクレ達も楽しみにしてくれているのだろう。

「大杉、徳島東映が閉館したん知っとるか」

六年前、ぼくが初めて徳島で映画の舞台挨拶をやらせてもらったのだが、徳島東映だった。北野武監督「HANA-BI」。東映制作の作品でもないのに社長の板東さんのご配慮で上映の運びとなった思い出深き映画館。そこが閉ざされた。設備もそのままの状態で残されているらしい。出番のなくなったスクリーンの前に立つ自分の姿を思い描いてみた。

「あのな、この頃恐いなぁ思うねん」

「恐い? なにが……」

「うん、人前で唄うこというか……」

どう表現したらいいのだろう。趣味の領域からはみ出すつもりはない。CDを出しませんかというご厚意をいただいても恥ずかしさと身分不相応のためお断りしてきた。ぼくは〈70年代フォークを愛する唄好きのオジサン〉、この一言に尽きることも自覚しているつもりである。唯ひとつだけ無自覚だったのは、飛び込んだ唄の世界が思いのほか深かったということなのだ。深さへの憧憬と恐れ。表現の世界に遊泳禁止エリアなんてないはずだ。泳ぎたい場所を泳げばいい。それはそうなのだが……さて泳げない人間はどうすればいいのか。そりぁ泳げるようになるしかないのだろう。つまり今のぼくは、浅瀬で立ち往生している〈かなづち君〉といったところか。

「いままで三回徳島でライヴやってきたやんか。それはそれでごっつい楽しかったしな。でも、なんか自分の中で刺激いうんかなぁ、ちょっと変化が欲しいねん。意味とか意義とか、そんなことじゃなくてな。なにがやりたいねんちゅうか、楽しめるちゅうか……」

〈欲が出た〉と言ったらいいのだろうか。出口表示のない迷路迷走なのではわかっている。まあそれ自体悪い気持ちはしないし、足を踏み入れたのは自分なのだからオトシマエは自分でつけるということなのだが……。

「まあ、大杉の好きにやったらええやんか」

会代表の内山君が簡潔に言い切る。好きにやったらええ……か。能天気な言葉がどれだけぼくを救ってくれただろうか。

「わかった。ほな徳島東映でやらせてもらうわ。まあ、あとは夏までゆっくり悩ませてもらいます」

ということで今年もやろうっと……。

 

一日に五回の舞台挨拶と取材をしたせいか、ぼくは立派な酔っ払いになっていた。

「大杉さん! 大杉漣さんでしょ!」

大きな声でぼくよりもっともっとオジサンの方が近寄ってきた。

「あのな大杉さん! 去年ライヴ行かせてもらいましたで。ごっつうよかったですわ。元気もろたいうか、またやってください。その時は必ず行きますから、ね……ね!」

だから、あのオジサンのためにも……。

ということで今年もやろうっと。

 

「音楽と人」2004年6月号掲載