ことば

COLUMN

第29回 「犬であれ」

〈動物と子供には太刀打ちできない、かなわない〉

ぼくたちの世界でよく口にされるフレーズだ。

以前CM撮影でデッカイ犬と共演したことがある。犬に詳しくないので名前はわからないが、とにかくデカかった。立ち上がるとぼくと同じくらいの高さに犬の顔があったんだから。

〈そこは海! 豪快な波を背景に犬が戯れている、そして夕日をバックにハードボイルドなタッチでウイスキー飲み干す大杉 漣!〉そんなコンセプトだったと思う。しかしデカ犬君は撮影中どこまでも自由気ままだった。そこには演出も作為も通用しない〈あるがままの時間〉が流れた。犬が戯れるはずが、どこから見ても明らかにぼくが戯れている。もてあそばれているのはぼくだった。最後の決めのポーズもデカ犬君に顔をペロペロされ、テーマでもあるハードボイルド風は単なる〈犬好きのおじさん〉と化していたのだ。〈勝負を挑むな!〉これがここでの教訓だっただろうか。

 

さて、先日放映されたテレビ朝日系「電池が切れるまで」の現場のことを書こう。

それは、病院内にある子供たちの学校〈院内学級〉のドラマだったのだが、そこで思いもかけぬ懐かしい子供たちに再会したのだ。子供といっても全員俳優である。

柳楽(やぎら)優弥・永井杏・美山加恋・斉藤千晃、ここに四人の子供がいる。

柳楽優弥君はフジテレビ「クニミツの政」で父親役、杏ちゃんはNHK「ニコニコ日記」で敵役、加恋ちゃんはフジテレビ「僕と彼女と彼女の生きる道」でおじいちゃん役、そして千晃ちゃんは映画「レディジョーカー」で父親役。それぞれの役をぼくが演じたのだが、そこで共演した子供たちと一挙に再会したのだ。

杏ちゃんからは〈レンレン!〉と呼ばれ、加恋ちゃんからは〈おじいちゃん!〉と言われた。優弥君とはたまにサッカーをやっているし、千晃ちゃんは撮影の時だけ鹿児島から上京しているしっかりもので妙に話がある中学生だ。

あなどるなかれ、この子供たちがすごいのだ。

誤解を恐れず言わせていただこう。ぼくは、全般的に〈子役〉と称される妙に礼儀正しく画一された演技指導を受けた子供たちが苦手だ。人の目の色を伺うことに手馴れる必要なんかないのにどうして大人たちは〈扱いやすい子供たち〉を作り出そうとするのか。犬が犬であるように子供は子供でいい。もっと極端を言おう、子供はあのデカ犬君でいいのだ。

再会した四人の子供たちは、印象で言うと限りなく〈犬的〉である。

控え室での彼らの過ごし方は、放たれた犬そのものと言ってもいい。たとえば、ぼくが次のシーンのセリフの練習をやろうとしていたとしようか、そこに現れる子供たち。

「レンレン、あっち向いてホイ!やろうっ!!」

「おじいちゃん、お菓子食べますか、はい!」(もちろんこの時の〈はい!〉は加恋ちゃん独特の〈はい!〉である)

「今度ね、マルキュウ(109)行くんだぁ、レンレンも行くぅぅ」

頼むからぼくのことは放っておいてくれないか……なんて甘い甘い。そんなことお構いなしなんだから。

しかし、そんな子供たちがいざスタジオに一歩入ると瞬間に出演者としての〈子供〉になっているのだ。役になるための長い助走は必要ないかのようにいともたやすくそこにいる。むき出しのままでそこにいるのだ。

ディレクターが言う。

「無理にとは言わないけど、泣けるようだったらそうしてみようか」

本番一発、子供たちは普通に泣いていた。技術ではなく気持ちで泣いていた。

ここでの教訓は〈キャリアなんて糞食らえ!〉だった。

 

収録後、柳楽君が恥ずかしそうにこう言った。

「大杉さん、俺ムニュムニュに行くんですよ」

「えっ、ムニュムニュって……」

「はいっ、カンヌです」

「優弥君、なにしに行くの」

「是枝さんの映画でカンヌ映画祭に……これから行ってきます」

 

その柳楽君が、カンヌ映画祭で史上最年少の主演男優賞を獲得した。そして、ぼくにもカンヌ土産に映画祭Tシャツと香水を買ってきてくれたんだ。律儀な子供だ。

後日、柳楽君にお祝いの電話を入れた。事の大きさどこ吹く風、いたって暢気ないつも通りの彼がいた。なんだか、ぼくはホッとした。

 

いつの日か、そんな子供たちも大人になっていく。俳優として身についてしまう技術も確かにあるだろう。でも、ぼくは思うのだ。

犬になれとは思わないが、犬であることは掛値なしにすばらしい宝物なんだと。

 

「音楽と人」2004年8月号掲載