ことば

COLUMN

第31回 「牛になる」

2004年8月21日・徳島でのライヴ。タイトル「ゆっくり走る牛になる」

 

1984年の夏、ベルギー・アントワープ。

あの「フランダースの犬」の舞台となった街だ。残念ながらパトラッシュやネロ少年と会うことは出来なかったが、とても落ち着きのある素敵な街だった。

転形劇場のヨーロッパ6カ国ツアー。といっても贅沢なツアーではなく、その移動のほとんどはバスか列車だった。それでも疑似家族のように過ごす劇団員との貧乏旅行は、実に楽しいものだった。みんなで金を出しあい飯を食い酒を飲んだ。そして、尽きぬ話に夜毎笑い転げた。〈演劇で食っていく〉ことの厳しさも充分過ぎるほどわかっていたが、それでもなお自分たちのやりたい舞台表現がそこにあるんだと確信していた。

ぼくたちはアントワープの郊外にある安宿を根城とし、そこから街の劇場まで通っていたのだ。安宿の横には広大な牧場があった。

目覚めの朝、窓を開ける。

「おおおおぉぉ!!」

なんと、ぼくのすぐ目の前に牛がいたのだ。牛とぼくの距離およそ40センチ。おそらく牧場で飼われている牛だったのだろう。驚いたのはぼくであり、牛ではなかった。牛は牛らしく牛としての日常を過ごしているにすぎないのだろう。ゆったりとした目をぼくに向けていた。

「おはよう……」

愛想のいい牛がいるかどうか、ぼくは知らない。無表情だという表現が正しいのだろうか、牛はまったく表情ひとつ変えないでぼくを見ている。ただ見ている。ぼくの目を見ている。

そして、きびすを返しゆっくりと牧場に帰っていった。

ただ、それだけのことだ。ただ、それだけのことなのだが…あの朝のあの牛のあの目が、ぼくには強く記憶されている。

「お前、人間だろ。お前の考えていることなんか、お見通しだよ」

牛が、そんなこと言うはずがないことはわかっている。おそらく、ぼくは怖かったのだと思う。すべて見透かしているような〈あの牛の目〉が……

 

今回の徳島のライヴタイトルはあの牛からきている。

編集部の樋口さんから興奮覚めやらぬうちに今回のライヴのことを書いてくださいとのこと、確かに興奮したのも事実だが、覚めたのも事実だ。申し訳ないが興奮は覚めている。でもね、楽しかったよ!

今回で四回目になる徳島ライヴ。

過去三回は、地元のバンド(KAZ BAND)の方にサポートしていただきやってきたのだが、今回はギタリスト・堀尾和孝さんを中心に東京でバンドを組むことにした。正直に言うと、徳島だけではなく東京や地方でもライヴをやりたくなったんだと思う。もちろん〈素人の趣味〉の領域を超えない範囲でやっていくつもりだ。

 

元映画館の昼夜の二回公演。無謀を承知の出たとこ勝負!

「漣さん、今日は二回やるんですからリハーサルは手を抜いてくださいね」

そこが素人の素人たる所以、過去で力を入れすぎて声を潰したこともある。昼夜、徳島のみならず全国から多くのお客さんが足を運んでくださった。単に70年代フォークにいかれたオヤジの唄を聴きに…本当にこころから感謝するのみだ。

今年は二十代の時に作った曲「金色のウイスキー」や映画『ロッカーズ』の挿入歌「恋の確定申告」も初めて人前で唄った。申し訳ないが気分はよかった。

二回目のライヴ中に両足がつっていた。おいおい、オイラどうなっちまうんだよ。身体がそこにいる実感のない瞬間もあったように思う。七月から八月にかけて殺人的なスケジュールの中を泳いでいたからだろうか。睡眠時間が異常に少ない日々の連続。でもね、思ったんだよ、オイラたちの唄をこの手作りの祭りを観に聴きにこんなに沢山の人たちがここに来てくれているんだって…そう思ったら、足がつろうが声がどうなろうがいいやって。

もし、ぼくがプロならば問われることはたくさんある。おそらくやり方も変わってくるだろう。しかし、ぼくは素人である。だから理屈は言わない。楽しかったかどうかを確かめることではなく、その瞬間を楽しむことだけなのだ。ぼくの唄いたいという気持ちは、そこにしかない。

さてさて、あの日ぼくは〈ゆっくり走る牛〉になったかどうかはわからない。

ただ、これだけは言えるだろう。

ぼくは見透かされている立場に居続けるのだと。牛の目とは、観客である。

 

「音楽と人」2004年10月号掲載