サブ監督作品「疾走」。ぼくにとっては三年ぶりのサブ映画だ。
「監督、今回の新田というヤクザには絶対刺青が必要だと思うんですが……」
虎視眈々、監督の返事待ち……サブさんは穏やかにうなずいた。
よっしゃあ、監督から刺青OK!が出たのだ。もちろんぼくらの業界では刺青は入れるものではなく描くものであり、そこには〈描き師〉と呼ばれる特殊メイクのアーティストがいるのだ。
そして、刺青を入れた。いやいや刺青を描いたのだ。
最近は穏やかな父親やエリートな男という役が多かったのだが、今回は〈ザ・ヤクザ〉。
ヤクザと云えば刺青、そりゃ譲れない必須アイテムでしょ! 近頃街でもこれみよがしに刺青をちらつかせながらほっつき歩いている人を見かけるが、昔は刺青といやぁヤクザ者のユニフォームと決まっていたものだ。後ろ指差されてこそあなた! アウトローってもんでしょ。覚悟あっての刺青ってことでしょ。
ぼくの生まれた小さな町にも刺青者が何人もいた。ガキだったオイラたちは、怖いもの見たさに学校帰りにこっそり寄り道をした。刺青者は昼間から酒を飲み、笑いながら錆びた旧陸軍の拳銃を自慢気にオイラたちに見せてくれた。足首に巻きついた真紅のパンティー……女に乗っかって獣のように腰を振り続ける刺青者の背中、四方八方お構いなしの大嬌声、そこには強烈な色彩を放つ汗まみれの刺青が光っていた。(注・それがあのSEXであることを当時は知らなかった)
以前Vシネマの作品で全身に刺青を描いたことがある。背中に昇り竜、胸には不動明王だっただろうか……もちろん撮影が終わると刺青は消す、残念だが消さなくてはならない。ちょうどその時期、何本かの作品を掛け持ちしていた。徹夜で撮影を終えて、そのまま寝ずに次の撮影現場に行かなくてはならなかった。刺青を入れたまま違う現場に行くことも気が重い。おまけに次の衣装は半そで姿の気のいい父親役なのだ、腕から刺青をちらつかせるお父さんって訳にはいかないでしょ。
早朝の埼玉某市、ぼくは駅前のサウナに飛び込んだ。大抵は入り口に〈その筋の方・刺青お断り〉の札つきなのだが、運良くそこにはなかった。しかもぼくの刺青は描いたものなのだから……この国に住む者として入れる権利はあるわけだ。
脱衣所にいた何人かの客は明らかにぼくを避けていた。
「いやいや、この刺青は仕事で描いたものでして……今まで撮影を」
なんて説明するわけにもいかないよなぁ。取り急がなくては次の現場があるのだからと、ぼくは洗い場に急いだ。
なんだ、なんなんだこれは!
強烈な視線! そして説明のつかない威圧感!!
そこには10人ばかりの先客がいた。そして、その内6人は刺青者だったのだ!!
ここは〈刺青者専用サウナ?〉
「こいつ誰や、どこのもんじゃ!」
何人かは仲間内だったのだろう、彼ら独特の目配せをしていた。当然ぼくの視線は彼らにはなく洗い場の床にあった。なにがなんでも彼らと目が合うことだけは避けたかった。とにかくぼくの今のテーマは、一刻も早く刺青を落として次の現場に行くことなんだ。
彼らにお湯が掛からないようにぼくの振る舞いは上品な乙女のようだった。そして、たっぷりとボディーソープをタオルに落とした。ゴシゴシゴシゴシゴシゴシ……一心不乱にゴシゴシゴシゴシゴシ……背中の登り竜は、タツノオトシゴのように情けなく溶け始めドス黒い泡が全身を覆った。ゴシゴシゴシゴシ……なになにっ本当かよ、鏡越しに何人かの刺青者が時間外の幽霊でも見ているような視線をぼくに投げつけているではないか。そして、一人の刺青者がむっくりと立ち上がって……こちらに歩いてきたのだ!
そして、ピタッッッーーーーーーっとぼくの背中に張り付くように立った。おでこには古い刀傷があった。これぞ全身!という刺青が隙間なく彫られていた。胸の脇だけが筋彫りになっており、制作途中なのだろうか。ぼくはと言えば毒蛇に睨まれた雨蛙といったところか……。
「あっ、ええっと……どうもぉ……お早うございますぅ」
こんな時ってなにをどう言えばいいのか。だってぼくは雨蛙、睨まれているんだよ。
そして、毒蛇がぼくの耳元でこう言ったのだ。
「落ちてないぞ、貸してみろ」
「はいっ?」
「背中落ちてないぞ、タオル!」
と言うやいなやゴシゴシゴシとぼくの背中を洗い始めたのだ。子供の頃母親に背中を洗ってもらった経験は何度もあるが、全身刺青者のヤクザに背中を洗ってもらったのは初めての体験だった。微動だにしないぼくがそこにいた。
「よっしゃ、綺麗に落ちたぞ。ところでよ、あんた俳優さんか」
「はい、大杉漣といいます。ありがとうございました! 助かりました」
甲高い声で彼は笑いながら仲間に「俳優さんだよ」と言った。
本当にいろんな意味で助かったと感じた瞬間だったのだ。
残念だが、今回はここまでです。刺青話はこれでは終わらない。いつかまた書く。
そして新年だ。この国に限らず世界がどこに向かうのか。「いいこともあるよ」と思いたい。
今年もゴンタクレは行く。決して〈ゴンタクレが逝く〉にならないようにゆったりと激しく行きたいと思っています。「音楽と人」読者の皆さん、お互い良い年にしましょう!
「音楽と人」2005年2月号掲載