ことば

COLUMN

第38回 「ヨォヨォ人生」

ヨォヨォ、人生楽しんでますか!

 

春だ。昨日とうって変わってぽかぽかの陽気、こんな日は危険だ。そう今日はオイラにとって危険日なのだ。間違いない!

連ドラ「みんな昔は子供だった」の撮影もすべて終わり、休むことなくシリーズドラマ「ハラハラ刑事2」に撮入した。連日の睡眠不足で移動の車で仮眠状態。

「大杉さん、現場に着きました」

現場マネージャーの内田君の声がした。

ぼくは車から降りた。間髪入れず目は痒くなり、クシャミ連発……ああっ、花粉君! 頼むから勘弁してよぉぉ。

「あれぇっ? 内田君、ここって……どこっ?」

「どこって、撮影現場ですけど……」

「いや、それはわかるんだけど……ここさぁ(ク)……あれっえ、見覚えあるぅ(ク)…」

(注・(ク)はクシャミの略です、これを読みながらクシャミをしてください。だからってなんの意味もないんですけど)

「ええっと、住所は川崎市多摩区のM町という所ですけど……」

「えっ、(ク)M町!?」

ぼくは、ゆっくり周りの風景を確認した。街道沿いのとてつもなく不味いファミレス、多摩丘陵を無理やりえぐるように造成された家々。ああっ当時のままそこにある。

「内田君、ここさぁ(ク)以前ぼくが住んでいた町なんだよ」

 

その町には10年住んだ。借家とはいえ東京で初めての一軒家だった。家賃65000円。二階建ての3DK。とても古い家だったが、ぼくたちには贅沢な空間だった。しかも住んでいた10年間、家賃は一度も上がらなかったのだ。普通ありえないことだ。大家さんは、ぼくが転形劇場というところで演劇をやっていたということも理解した上でそうしてくださったのだと思う。家賃を滞納したことも何度かあったが、静かに待ってくれた。いやぁ、今思い返せばすばらしい大家さんだった。

そんな恵まれた住環境にもかかわらず、オイラは演劇以外の仕事にも就かずブラブラしていた。もちろん、たまにある映画の撮影や劇団の稽古がある日は出かけるのだが、現在のように多忙な日々ではなかった。当時近所の人は、ぼくのことをどう思っていたのだろうか。今となっては確かめようもないが、おそらく〈無職の男〉あるいは〈ヤクザ者〉とでも感じておられたのではないだろうか。

時間がある時は子供たちの保育園の送り迎えもした。自転車の前と後に子供たちを乗せて朝9時に保育園に行った。

「お父さん、演劇なさっているんですってね。頑張ってください」と保母さんに励まされ、「お父さん、行ってらっしゃい!」と子供たちは屈託のない笑顔を土産にくれた。

行ってらっしゃいか……しかし、オイラどこに行けばいいんだ!

仕事のない日、開店前からパチンコ屋の行列に並んだ。そこ以外に行く場所のない男達とも顔なじみになるほどオイラは〈行列の中の一人〉となっていた。

珍しく大勝ちした日があった。桜が狂ったように咲き誇っていた日だ。子供たちのお菓子や生活物資も換品し、残りを換金するために現金交換所に小走りで向かった、その時だ。

「お父さん!」

ぼくは左手にビニール袋、右手には換金したばかりの万札を握ったままゆっくりと振り向いた。

そこにはお散歩を楽しむ保育園児たちの行列があった。そして、その中の一人に息子の顔があった。

「お父さん!」

「おおっ、散歩か……」

励ましてくれた保母さんも一緒だ。

「お父さん、今日はお仕事お休みなんですか?」

公立の保育園に子供を預けるということは、両親とも仕事に就いていなければならない規則があることも充分に理解していた。

「ええ、今日はお休みなんですよ。はいっ……」

なに言ってるんだオイラ。今日はじゃない、今日もだろ。

心優しき保母さんは、ぼくを問い詰めることもなく子供たちと散歩を続けた。

十数年も前の話だ。

「大杉さん、そろそろ準備をお願いします」

「内田君、ぼくここに住んでいたんだよ。(ク)ここでさぁ……」

「ああ、そうですか……そろそろ準備を」

ぼくは着替えのためロケバスに向かった。

ロケバスの横には大きな桜の木があった。まだ蕾のままだ。近い将来、狂う日を静かに待つかのように……くしゅん!

ヨォヨォ、人生楽しんでますか!

 

「音楽と人」2005年5月号掲載