ことば

COLUMN

第61回「これでいい?」

ぼくは二十代後半で映画デビューをしたが、当時は映画の仕事もそう頻繁にはなかった。

だからといって、妙なものであせりもなかった。なんとか世間に出たい、もっと売れたい、そんな欲望も薄かったように思う。

役者として活動の中心は劇団にある……太田省吾の放つ独特な演劇メソッド〈沈黙劇〉にやりがいを感じていたのも確かだった。劇団もぼくが映像の仕事をすることにそれ程協力的ではなかった。

大きな転機が訪れたのは、やはり1988年の劇団解散だっただろうか。

家族よりも長い時間を過ごした劇団生活が一瞬にしてなくなってしまった。任意の集団とは云え、とてつもなく濃い時間を過ごした仲間たちとも会えなくなったのだ。

そしてぼくは、心細い自由を手に入れた……ドコニイッテモイイノデス。

 

一人になって芸能事務所に所属することになった。社長の豊田さんは、蜷川幸雄さん率いる〈現代人劇場〉の役者であったということもあり、ぼくのような無名の役者に理解のある方だった。

「大杉君が将来どうなるかなんて、なんの保障もないけど……コツコツ誠実にやっていけばいいんですよ」

豊田さんは、いつも同じ言葉をぼくに繰り返した。

当然のことだが映像の世界で、ぼくの劇団時代を知る人は少なかった。現在のように小劇場と映像の世界がリンクしている時代ではなかったし、そこで認められなければ将来なんて見えなかった。

 

日本経済がバブルと呼ばれた時代、映像の世界でもVシネマが量産されていた。当時ぼくもその世界を中心に仕事をしていた。多い月で六本のVシネマに出演したこともある。

そして、その全てが〈ヤクザ物〉であった。組長四本・若頭二本……来る日も来る日もド派手なネクタイとダークスーツに身を包み、拳銃をぶっ放していた。

そんなある日、大手の制作会社が初のVシネマを作ることになり、ぼくも出演することになった。Vシネマとしては珍しくヒューマンコメディーと銘打っていた。ぼくの役柄は、気弱なサラリーマン……地味なスーツと真っ白なワイシャツがやたら新鮮に思えた。監督もスタッフも初対面の方たち……いつもと違う雰囲気の現場、そして緊張の初日!

 

「違う違う! 君っ、もう一回!」

「そこに立つとかぶってるだろ、ハイッ出すぎ! もっと下がって!」

「セリフが硬いっ! ヤクザじゃないんだから! サラリーマンなんだよぉ、普通にやってくれよぉ!」

「君ぃ何度も言わせるなよ、そうじゃないっ、気弱な……」

「もう一回! ヨーイ、スタート」

「違う違う! もう一回……もう一回……もう一回……もう一回」

 

俳優・スタッフに囲まれ、ただ呆然と突っ立っていたオイラ。もちろん誰がたすけてくれるものでもない。なにをどうすればいいのか……もうそんな状態ではなかった。監督の厳しい言葉は、ぼく一人に向けてのものだ。言われれば言われただけ硬直していく自分がそこにいた。なすすべなどどこにもなかった。

〈怒る〉ことで現場のテンションを上げる、結果それが作品のクオリティーを高める……そんな監督がいることはぼくも知っていた。しかし、ぼくが監督に言われたことは理にかなったものであり、納得させられるものであった。それに応えることが出来なかったぼくにこそ問題はあったのだ。ヤクザ物で身に染みた予定調和の演技……監督はそこを見逃さなかった。痛い場所にきついクサビをぶち込まれた。

 

自分自身に都合よく〈これでいい〉と甘い答えを出す……この程度でいいやぁ、そんな大きな勘違い! Vシネマで少しばかり売れていたといい気になっていたのも事実だった。

もちろんこんな経験は初めてだった。これを契機に、以後ヤクザではない役をあえてやろうと強く感じたのだ。

 

あれから17年、今でもあの日の自分を思い出すことがある。これをトラウマというのだろうか。

もうオイラは終わりだぁ、役者なんて辞めたほうがいい……あの時はそう思った。

しかし、こうも言えるのだ。

あの経験があったからこそ、現在も役者として〈在り続けよう〉としているのだと。

おそらく役者という仕事は〈これでいい〉を永遠に追い求めることなのだと思う。しかし、たとえそれを手に入れたとしても、次なる〈これでいい〉を追い求める羽目になるのだ。そう、永遠の〈これでいい〉探し!

そして、こうも言えるだろう……〈これでいい〉なんてどこにもない!

今ぼくはこう思う……コツコツ誠実に行こうっと。

「音楽と人」2007年4月号掲載