ことば

COLUMN

第69回 「95歳だぜい」

1912年広島生まれ、95歳。

現役の映画監督、新藤兼人(しんどうかねと)さん。

目下、広島で新作映画「花は散れども」の撮影中である。

 

この夏、打ち合わせで新藤監督とお会いした。

「大杉さんにはこの〈藤田〉という役をやっていただきたいのです。まぁぼくの学校の同級生がモデルになってまして、実際にいた方なんですね。広島で戦争を経験して……そこであの原爆にやられたわけです」

新藤監督はゆったりと確信犯のように〈藤田さん〉についてぼくに語り始めた。

「ただね、大杉さん。原爆にやられたからと言って悲壮感だけではなく、人としてのユーモアも持ち合わせている人物にしたいと思ってまして……ところで大杉さんは相撲が好きですか」

「相撲ですか。いえ、あまり詳しくありませんが」

「ああっそうですか、ぼくは相撲が好きでしてね。大杉さんのやっていただく〈藤田〉は相撲で言えば〈高見盛〉なんですね、彼に近いイメージがあるのです」

「高見盛……ですか」

「セリフもスラスラと喋らないというか、ひと言喋るにしても手に力が入って……」

そう言うと監督はぼくの目の前で力強い握りこぶしを作って〈藤田〉を演じてくれたのだ。

「ピ…ピッ…ピィッ……ピィカドン! ……こんな感じなんです、大杉さん」

監督は真剣だった。穏やかな表情なのだが、目は笑っていない。

「それとね、大杉さん。少し大変だとは思うのですが、原爆にやられた痕跡が顔半分に残っていましてね。ケロイドを特殊メイクでつけていただくことになります。その痕跡も戦争の悲惨とは裏腹にケロイドが崇高で神秘的なものに見えるといいかなと思っているのです」

〈神秘的な高見盛!!〉

ぼくは、かなりワクワクドキドキしていた。

特殊メイクは、あの〈ガメラ〉の原口智生さんが担当してくれた。原口さん、セリフの邪魔にならないようにと配慮した上でケロイドを造形してくれた。素晴らしい出来栄え……特殊メイクの装着テスト・カメラテストも監督からOKが出た。

 

そして10月。

いよいよ新藤兼人監督作品「花は散れども」のぼくの撮影日。

ロケは広島・尾道。

石内尋常高等小学校同窓会シーン。恩師であるかつての先生(柄本明さん)との再会。

そして生徒役の大竹しのぶさん・豊川悦司さん・根岸季衣さん・りりィさん・六平直政さん、そしてぼく総勢16名。同窓生が戦争を経験しその後どのようにして生きているのかを一人一人が語る約10ページに渡る長いシーン。

お孫さんの映画監督・新藤風さんに支えられながら新藤兼人監督が撮影現場に到着した。

スタッフも俳優も固唾を飲むという感じ、なんだか気持ちいい緊張感だった。

そして監督は開口一番静かにこう言った。

「長いシーンですが、最後まで通して芝居をして下さい」……と。

ひとりで何度も何度も練習をした長セリフ。監督の要望に応えられるよう高見盛のことも考えた。

さてさてうまくいくのだろうか、ぼくの考えた演じ方でいいのだろうか。

リハーサルが始まった。

「よーい・スタート!」チーフ助監督・山本さんの声。

必死に演じた。ぼくにとっても初めての広島弁……そして顔半分を覆う特殊メイク。計算もへったくれもない、がむしゃらに藤田を演じるだけだった。

「はいっ、カット!」

そして新藤監督が、穏やかにこう言った。

「はいっ、芝居は結構です。本番行きましょう……」

テスト一回・本番一回……監督のOKが出た。

理由なくすがすがしい思いだった。それはぼくだけではなくどうやら共演者みなさんもそうだったようだ。誰からというわけではないが拍手が起こった。

ロケ現場の窓から夕焼けに染まる瀬戸内海が見えた。

「今夜みんなで飲みませんか」柄本さんの誘いがあった。僕達は本当の同窓会のような夜を過ごした。95歳の映画監督の現場にいられることの幸福を味わうようにおじちゃんおばちゃんはよく笑い大いに語った。

 

翌日の昼時、ロケ現場で新藤風さんがぼくに声をかけた。

「大杉さん、監督が喜んでましたよ。高見盛……昨日撮影が終わってから宿舎でね……監督、大杉さんの芝居の真似を部屋でして……ピッ…ピッ……ピィカドン!ってね」涙がでそうになった。もちろん嬉しかった。

最後に新藤監督の言葉を書き記しておこう。

〈書き手は自分の生き方や生活・考え方を命懸けで書いている。絵空事でもなければ、客観でもない。自身が痛切に感じ、考えたことが表現されていなければ本物ではない〉

95歳の映画監督の新作を是非堪能していただければ……そしてちょっと高見盛もねっ!

 

「音楽と人」2007年12月号掲載