ことば

COLUMN

第79回「恐るべし愛しの大阪 PART2」

先月号をお読みでない方は〈なんのこっちゃ〉とお思いでしょうが、そうなんです! 猛暑の大阪でオイラが体験したこれぞ〈なんのこっちゃのお話〉なんですわぁ。

 

前日の右手中指の痛みは、朝になっても治まらずにむしろ悪化していた。ひょうそう!

とにかく痛いっ! あの痛さって文章的にどう表現すればリアルにお伝えすることができるのだろうか。ズキズキ……ドクドク……バクバクドックン……ああ違うっ、イヤイヤまさに超激痛ですわぁ。

その日はとことんツキの悪い日で……日曜日。

朝一番、ホテルに紹介していただいた休日診療所に行くことにした。

昭和を彷佛させる蔦の絡まるモルタル風の建物、錆びたブリキの看板に小さく●○診療所と書かれていた。

年季の入った看護師さんが受付にいた。

「はいっ、どうされました? この用紙に必要事項を書いて、そこで待っとってください……あらっいややわぁ……もしかして俳優さん、あっそうやわぁ、あのぉNHKのお父さんやってたでしょ……わたしぃ、毎朝観てたもん」

年季の入った看護師さん、ちょっと一人で盛り上がっていた。

しかし今一番大事なことは、この右手中指のことっ!

 

診察室にいる先生が、トム・ウェイツのようなしゃがれ声でぼくを呼んだ。

「はいっ大杉さん、どうぞぉ」(どうか関西弁のトム・ウェイツをイメージして声を出して言ってみてください!)

ぼくは診察室に入った。

そこに座っていたのは顔中怪我だらけの……80歳ぐらいの老先生だったのだぁ!

しかも先生、ほほえんでいるかのようだ。

「どうされましたかぁ?」

どうされましたかって、そう聞きたいのはオイラの方だ……先生の顔、どうされたんですかって。

しかも両眼の下のクマ状のものは明らかに殴られたあとだし、ところどころまだ乾いてない傷もあったりで……それでも老先生は、柔らかい微笑みを浮かべている。

先生は、ご自分の顔のことなんかまったく気にもされていないかのようだった。

「ええっと、大杉さんはとっ……どうしはったんですか」

ああっオイラ、トム・ウェイツに質問されてる……おまえはアホかっ、そんなこと言うてる場合じゃあないだろっつうの。

「はいっ、指が膿んでしまって……ものすごく痛いんです!」

「はっはぁん、これは間違いなく〈ひょうそう〉ですねぇ。なんかバイ菌が入って膿んだんでしょう、痛いでっしゃろ。これっどうします?」

「いや、どうしますって……先生、治していただきたくてここに来たわけですから」

「〈ひょうそう〉は痛いからなぁ。薬もあるけどねぇ、すぐには効かんし……まあ切って膿を出すんがええとは思いますよ」

「いやぁ、とにかく先生……この痛いのをどうにかしたいんで、お願いしますっ!」

「ほなまぁ、切るんが一番やと思いますんで……切開しましょ……オーイ切るでぇ」

老先生は、受付の年季の入った看護師さんに声をかけた。

「先生、この方、俳優さんなんですよ……ようテレビに出はってる、わたしちょっとファンやし……ウッホホホ」

「ああっほうか、お前の好きな俳優さんかいなぁ……」

その〈お前〉という言い方で、ああっお二人はきっとご夫婦なんだと思った。間違いないっ!

あうんの手順で切開の準備が整った。

「ほな、切る前に局部麻酔しまっさかいに注射打ちますわぁ」

老先生はぼくの指先に注射針を刺そうとしている……が、しかし……先生の手が震えている。しかも……。

「あっ先生、その指違います。悪いんは人差し指じゃなくて……中指ですっ」

まったく悪びれた様子もなく老先生は、震えながらも中指に注射を刺した。

看護師さんが、淡々と老先生に小さいメスを渡した。

相変わらず老先生の手は震えていた。

「麻酔もそろそろやろ。ほな、切りますよ」

「痛いっ! 先生、すいません、その指やのうてこっちの指ですから……」

「わかってまんがな、中指でっしゃろ……大杉さん、あんたがじっとしてへんから隣の指を刺してしもうたんや……頼むさかいにじっとしててや」

恐るべき理不尽! いやぁぼくはじっとしていたのに……手が震えているのは……。

しかし、ここは逆らってはいけない、言われた通りじっとしていよう。

結果隣の人差し指を二回刺され、最後は見事患部に的中。溢れんばかりの憎っき膿が出た。

理由なく物凄く嬉しかった。感動した。ズキズキしたあの痛みも嘘のように波が引いていったのだ。

 

もちろん老先生の顔の怪我について聞くこともなかった。聞く理由も持っていない。

ふと老先生の机の下に白い猫がいることに気づいた。ほとんど動くこともなくずっとそこにいたのだ。

「この猫ねぇ、16歳なるんですわ。捨て猫でねぇ。もう目も見えんようになってしもうて、歩くんもおぼつかのうて、いつもここでじっとしてるんです。家族やから……」

家族やから……老先生も看護師さんもやさしい眼差しで猫を見ていた。

てんやわんやの診療所だったが、素敵な大阪に触れた気がした。

しかしだぁ、もう二度と金輪際〈ひょうそう〉なんかにはならないぞっぉぉぉぉぉ!

 

「音楽と人」2008年10月号掲載