ことば

COLUMN

第94回「手間をかける」

手間をかけよう 自分ってやつに

翻弄し続ける 厄介者に

背負ってゆくのはオイラ

もうひと山越えれば

きっと変わるよ

ホラホラ見せ場は今だ

叩きつけてみる 生きる流儀

殴り書きの剥き出しの感情

飛び乗った路線バス

眼深にかぶった帽子の向こう側に

ピンボケの過ぎゆく風景

だれかがこっちを見てるよ

もしかしてボケてるのは風景ではなくオイラのほう

過剰なる呑気としか言いようのない自意識

ひとつだけ教えておこう

人は人に対してそれほど真剣ではない

 

なぜかフト……手間から逃げるな! そんな言葉が浮かんだ。

もともとぼくは面倒くさがり屋である。

時折、手間のかかることに面倒を感じてしまう自分がいたりする。

なにもかも準備されてるいることに慣れ過ぎて、大切なことや感謝することを忘れたりもする。フト思う……これではいけないんだと。

 

自分について書こう。

思うままに書こう、忠実な気持ちを書こう。

しかし、自分というものは本当に厄介なもんだなとつくづく思う。

だけど、厄介でない自分とか人生なんてあるんだろうか。

〈ものごころ〉というものがどういうものなのかよくわからないが、そういう気持ちを抱いた時から今日まで、ずっとその厄介と向き合ってきたような気がする。

しかし、こんな面倒くさいことなのに、どうもそんな厄介を抱え込むことをよしとする、そんな気持ちがあることも確かなんだ。

ぼくは、母親譲りのかなりの心配性だ!

今の自分、これからの自分に不安を常に抱いている。

オイラは本当にこれでいいのだろうか。俳優として今後どうすべきなのか。ぼくはぼくをどうしたいのか……そんなことなんだろう。

しかし、この不安ってやつが先に進む力や指針になっているのも事実である。

こう言えばいいだろうか、オイラは〈ネガティブな楽観主義者なんだ〉……と。

同じことをグダグダと考えあぐねること……おそらくこれから先もそうやって過ごしていくにちがいない。

 

来年三月、8年ぶりに舞台をやることになった。

なぜ舞台をやることになってしまったのか……なんだか魔が差したように「やらせていただきます」と返事してしまった自分がいた。

演目は、日本のアンダーグランド演劇が始まった時代の不条理劇だと言われている作品だ。一筋縄ではいかないややこしい作品でもある。これも厄介である……イヤイヤだからこそお引き受けしたのかもしれない。

映像の仕事は即答の世界に近いが、舞台はそれよりも少しはゆったりと答えを出すことができる。今回の舞台はほぼ二時間以上舞台に出ずっぱりになるだろう。

しかも膨大なセリフ。共演者のほとんどが初めての方ばかりだ。

ああっ8年なんて、ほぼ新人と同じだ。本当に舞台に立つのが怖いと感じている。

今はまだ気持ちも身体もすくんでいる。

しかしこれは今の自分にとって、やるべきこと、必要なことだと感じているのだ。

この8年という時間、ぼくは俳優として成長したのだろうか。

〈なにか〉としか表現できないもの……ぼくはなにを得て、なにを失ったのか。

先のことはわからないが、この作品がおそらく50代最後の舞台となると考えている。

演出家・太田省吾さんの演技のありかたに〈裸形〉という考えがある。

俳優は、なにをやるかではなく、なにをやらないか……消去し削ぎ落していく表現の在り方を彼独自の考えで表したメソッドだ。

ただそこにいること、そこに在ること……シンプルだが簡単に獲得出来るものではない。

今はまだ、身と心についたものをひとつひとつ脱ぐことから始めようと思っているところだ。

ちょっと重くなっただろうか。しかし、こう考えていることは事実だから……行き先を決めていないひとり旅のようなものかな、いずれどこかに落ち着くのだろう。

我が家のネコ・寅子と遊んだ。

寅子と遊んだら不思議と労働意欲がなくなった……これはとても素敵な発見だぁ!

 

「音楽と人」2010年1月号掲載