連合赤軍を描いた『光の雨』という映画から6年、久しぶりに高橋伴明監督の『BOX』という映画に参加した。高橋伴明さんは、ぼくを最初に映画界に誘ってくれた監督だ。その出会いがあったからこそ、その後も多くの人との出会いがあったのだと思っている。
1978年、ぼくは転形劇場という劇団に所属していた。
劇団の活動では当然のごとく食ってはいけず、生計はアルバイトだった。いわゆる大道具さんだ。晴海の見本市会場や武道館、そしてTV局でも働いたことがある。
今も大工道具やDIYが大好きなのは、そのなごりから来ている。我が家には、道路や壁をハツる(削ること)コンクリートドリルまである。どうするんだぁそんなもん! 使いたくて仕方がないのだが、まだ未使用である。
さて当時は、自分が映像の世界に足を踏み入れるとは思ってもいなかったし、活動の中心は舞台にあった。
ぼくにとって映画は、観るもので出るものではなかったのだ。
今はなくなってしまったが格安料金の名画座は、時間を持て余した男たちの格好の〈休憩場所〉だった。信じられないと思うが、当時の名画座系映画館は飲食飲酒喫煙がまかり通っていたぁ!
そんな風来坊なオイラに映画のオファーがあった。劇団の舞台を観たプロデューサーに声をかけていただいたのだ。
「大杉さん、日活のロマンポルノなのですが出演していただけませんか!? 監督は高橋伴明さんです」
映画のことはなんも知らない、でも面白そう……複雑な理由なんてなにもなかった。
ひとりの若造が、映画に足を踏み入れた瞬間だった。
2009年、東京・大泉東映撮影所で『BOX』の衣裳合わせの日。
「おっ! 大杉っ」
監督からの挨拶はその一言だけだった。
久しぶりの監督は、お元気そうだった。「もう60超えたよ」と照れ笑いした。
勝手知ったるスタッフの皆さんとも再会。なんだか当たり前のことだが、ぼくたちは少しずつ歳を取っているんだなと感じた。でもそれがとても素敵なことのようにも思えたのだ。
日焼けした顔には皺が刻まれ、凛々しく戦う現場者の姿がそこにはあった。
なんだかそれだけなのに……それだけで成立している関係が嬉しかった。
押しつけがましくない緊張感が、ここにはある。
この空気がたまらなく好きだ。
スタッフの皆さんも今は穏やかに笑っているが、いざ仕事になるとまさにプロの顔になる。
『BOX』は、ある冤罪事件をモチーフにした骨太な社会派映画だ。
ぼくが演じるのは、検察側の人間で権力臭がプンプン匂う男。
「大杉、この役でなんか考えてきたかぁ……お前、なんも考えてへんのやろう」
監督がいつものように関西弁まじりの言葉でぼくの気持ちをイジってくる。
「なに言うとるんですか、監督……ぼくはいつものように緻密に考えとりますわぁ(笑)」
「ええねんええねん、いつものようにお前の得意技・行き当たりばったりで……その時起きてきた気持ちを大事に、それでホンマだったらええねん!」
こんな言葉を投げてくる伴明さんが、大好きだ。
アバウトな言葉のような印象を受けるかもしれないが決してそうではない。真意は、その真逆にある。
差し障りのない予定調和を求めているのではなく、演ずる者がどれだけリアルにそこにいることが出来るか、技ではなくその人間の精神が見たいと高橋監督は言う。
表現することって底なし沼のようで怖い世界だなと思う。しかし、それに取り憑かれてしまったのだからしかたがない。関わる以上は、ジタバタするしかないのだ。
『BOX』の撮影は、寒風吹きぬける福島県いわき市郊外で行われた。
台本では、暴力的な大声で詰問する検察官となっていたのだが、ぼくはかすかに聞こえる程度のウイスパー(ささやき声)で演じたいと思った。表情もあまり出さない方が怖い人物になるかなと感じた(ねっ、緻密でしょ)。
高橋監督は、割らないでワンカットで最後まで撮りたいと言った。ああっ、なんだろうこのたまんない緊張感!
このことを書くのは初めてだが、ぼくは割とNGを出す方だと思う。一生懸命やってNGなら仕方がないと思うのだ。だってもう一回やればいいんだから……器用がいいとも思わないし、NGを出すってことは恥じゃあないんだぁ! だって自分の人生だってどちらかと言うとNGなんだからさぁ!
しかし今回は、残念なことにNGなしで一発OKだった。
監督がOKと言えばOKなんだ。
どうだったのか監督には聞いてはいない、もちろんぼくの演技がどうだったのかなんて聞けるわけもない。
ただ高橋監督がOKと言った直後に「クスッと」微笑んだことだけは見逃してはいないぞっと。
こんど高橋伴明監督にお会いできる日はいつになるのだろうか。
ぼくにとって映画界の兄貴のような人である。やさしく厳しい人である。
今気づいたのだが、監督と出会ってから30年が経つ。アッという間の出来事ですわぁ!
「音楽と人」2010年2月号掲載