ことば

COLUMN

連載4「いざ新潟・田巻源太君」2000年2月6日号

新潟シネ・ウインドで“大杉漣映画祭”を企画していただいた。その翌日もTV収録があったため、東京にとんぼ返りは承知のうえで新潟に行くことにした。オールナイトに出かけてくれた観客の方々に直接お会いしたかった、そして一言お礼をと思ったのだ。
映画館に到着したのは、一本目のサブ監督「ポストマン・ブルース」の上映が終わった時だった。深夜にもかかわらずたくさんの方が、ぼくを待っていてくれていた。舞台挨拶の後、すぐに質問形式のトークライブが始まった。「なぜ、大杉さんは俳優になったんですか」「映画は、好きですか」……ぼく自身答えの出せないもしくは出さない質問もあった。1+1=2の領域からこぼれ落ちたところにも表現(演技)はある。質問に明瞭に答えることが決して正しい姿とは限らない。
ライブも終わろうとしていた頃、一人の男性が手を挙げてぼくにこう言った。「大杉さん、ぼくの映画に出てください……シナリオ書きますから」、客席から小さくウォーと声が上がった。彼は真剣にぼくを見ていた。思わぬ場所での出演要請だった。「じゃ、シナリオ送っていただけますか」とだけ答えた。
三ヵ月後、事務所に新潟から一本のシナリオが届いた。タイトルは『黒いカナリア』。サラリーマンである主人公が、ある朝目覚めると鳥になっていた。行くあてもなく街をさまよい続け、最後にビルの屋上から飛び立っていく……そんな内容だった。確かにシナリオとしては粗かったが、主人公と自分を重ねて考えてみた。これを自分が演じたらどうなるのかな。具体的にそう考え始めている自分がいた。引き受けることにした。
 ”出てあげる”のではない”出たい”のだ。シナリオには彼からの手紙が添えられていた。
 「僕は、現役の高校生。田巻源太です」。彼は僕の息子と同じ17歳だった。