ことば

COLUMN

連載5「映画と歩いたら」2000年2月13日号

 初めて青森に行った。ぼくが若い頃に影響を受けた映画を一本選び、その映画がロケーションされた場所を訪れるという趣旨の番組撮影のためだ。
 ぼくは今でこそ映画とかかわる時間が多いが、若い頃はそんなに熱心な映画ファンではなかった。映画に行くと言っても三本立てのヤクザ映画か、たまに銀座や飯田橋にあった名画座系に出かけるぐらいだ。その多くの目的は”膨大な持て余した時間”を埋めるためだった。つまり暇つぶしである。熱心に映画を語れるような知識も情熱も持ち合わせてはいなかったのだ。そんなぼくが選んだ映画が寺山修司監督「田園に死す」。
 当時受けた印象を抱えたまま青森に行きたかったが、あらためてビデオを見ることにした。記憶があいまいだと痛感させられた。しかし、ひとつだけ強烈な印象として残っていたシーンだけは、記憶が正しかった。
<主人公の”私”が青森の実家で”母親”と食事をしているとき、突然背後の壁が倒れ、そこに当時の”新宿”が映しだされる。それにもかかわらず”私”と”母親”は新宿の雑踏の中でモクモクと飯を食う>
 それ自体にどんな意味があるのか、そんなことはどうでもよかった。ただその瞬間、鳥肌が立ったことだけが身体の記憶として残った。映画を見ることが”私”つまりぼく自身を見ることになったのかもしれないと感じた。
 「田園に死す」が撮影された現場は、映画とは違ったおだやかな風景の中にあった。しかし、寺山さんによって”特別な場所”になってしまったのだ。なるほど、あのシーンはここで撮影されたのか・・・・・・しかし、そんなことを確認したかったわけではない。
 一本の映画が、ぼくに与えたあの”ざわめき”は何だったのか。26年たった今でも、映画がぼくの中生きている。