ことば

COLUMN

連載7「一喜一憂」2000年2月27日号

 映画が完成した時に関係者だけで初めて試写することを”初号“という。
 <どんな映画になっているのだろうか>とスタッフ・キャストが固唾をのむ瞬間でもある。
 正直に言うと初号の時は<映画全体を見る>余裕などない。自分がどう映っているのか、演技はどうだったか……そんなことばかりが気になるのだ。スタッフの方に聞いても、やはり自分のパートを中心に見てしまうらしい。
 見終わってすぐに「この映画ってさ……オレはこう思うんだよね、キミはどう……」なんて語りあうなんてできるもんじゃない。語ることよりも”自分のやったこと”について考えることで精いっぱいだ。他人から見れば何の価値もない荒唐無稽に一喜一憂している。
 初号でどうしても気になる作品は、劇場に行って観ることにしている。ぼくの”一喜一憂”を再確認してみたいというのもあるが、観客がどんな反応をするのか、それを知るのも大事なことだと思う。意外なシーンが受けたり、逆にこのシーンはいけるだろうと思っていたシーンに反応が薄かったり……。
 もちろんぼくは、自分の出演した映画を”純粋な観客”として観ることはできないのかもしれないが、劇場で映画を観るということが<映画全体を見る>ということに少しは近づけることなんだと考えている。
 先日、友人から21年前に出演した映画のビデオをもらった。若い“大杉漣”がそこにいた。当時の現場の時間がよみがえってくる。監督に手取り足取り教えていただいたこと、簡単なことができない自分に落ち込んだこと、それでもまた映画に出たいなぁと思ってしまったこと。今の自分とどこが違うのか、何が変わり、何が変わっていないのか、ぼくにはわからない。
 数多くの映画にかかわっているにもかかわらず、”一喜一憂“だけがそこにある。