ことば

COLUMN

連載36「抱擁の日」2000年10月1日号

 荒い息のまま、車に駆け込んだ。
「大丈夫ですか、大杉さん。寝てないんですから少し横になって休んでください」
「うん、でも今休むと起きる自信がないから、しばらくこのままで……」
 ほんの数分前まで高田渡さんのライブのゲストとして舞台に立っていた。引くことを知らない汗だけが、先ほどまでの興奮を伝えている。しかし余韻を味わう時間もなく、すぐに多摩市から新宿に移動しなければならない。そう、今日は廣木隆一監督「不貞の季節」の舞台挨拶の日。実は映画は1週間前に公開されていたのだが、ぼくが撮影でタイに行っていたために監督・キャスト揃っての挨拶がこの日になってしまったのだ。
 これまで何度も映画の舞台挨拶をしたことがあるが、今回は自分でこれだけは実現したいと思ったことがあった。通常の舞台挨拶ならばスクリーンの前に立ち、観客に一言お礼と映画についてのエピソードなどをしゃべって終わりとすることが多い。しかし、今回は観客と共に映画を鑑賞し、終映後に<男性とはがっちり握手、・女性にはきっちり抱擁>と決めていたのだ。
 テアトル新宿の佐藤支配人も
「大杉さん、面白いですよ。こんなこと初めてですが、ぜひやりましょう!」
と言ってくださった。レイトショー公開ということもあり、終映時はすでに11時を過ぎようとしていた。劇場出口には長蛇の列ができていた。一人一人の観客の方をこんなに間近にしたのは初めての経験だった。
「映画、面白かったです。握手お願いします」
「あの、ほ……ほうようをして下さい」
「私もひとつ抱擁で」
「オレ、男ですけど<きっちり抱擁>をお願いします」
「大阪から来たんです。キツーイ抱擁を!」
「私、テアトルの従業員ですが、抱擁お願いします」
 緊張して手が震えている人、泣き出す人、笑顔で写真を撮る人……すべての人に感謝!ぼくは思う。もしかしたら、映画を愛する多くの観客の厳しさややさしさに、ぼく自身が抱擁されたのかもしれないと。
 2000年9月9日を、ぼくは<抱擁の日>と名付けた。