ことば

COLUMN

連載37「漣と漣君」2000年10月8日号

 本名・大杉孝。仕事名・大杉漣。「漣」になってから22年が過ぎようとしている。けれども、転形劇場に所属していたときにつけた名前が自分のものになるまでは多少の時間が必要だった。劇団に所属していた頃は、個人であるということの意識を大きく持つよりも、集団の一員であるという意識が強かった感じがする。
 ではいつ頃から<大杉漣>という名前を意識し始めたかというと、やはり劇団が解散してからだと思う。当時の自分が出かける場所、あるいは心の拠点は劇団しかなかった。1988年の解散後、ぼくには行く場所がなくなった。焦燥と不安、しかし一方で今日から一人だという自由も味わっていた。
 大杉漣の独り歩きが始まってから12年。仕事のフィールドは舞台から映像に変わった。しかし、ぼく自身の考え方や過ごし方が変わったかというと、あまり大きな変化はないように思う。身体は確実に老いていくが、精神は過激を望んでいる。
 いやいや、今回書きたかったのは、なぜ「孝」を「漣」にしたかのイキサツだ。そう高田漣君(ギタリスト・28歳)がいたから、ぼくは大杉漣になったのだ。彼は、大好きなフォーク歌手・高田渡さんの息子さん。
 不思議と親近感のある名前だなと思った。それもそのはず、その当時お世話になっていたコンドームが「漣」だったのだ。「さざなみ」とも読む。静かに寄せては返す波・・・・・・しかし、その形は絶えず変化する。「ぼくらしくて、こりゃいいや」というのは後から思いついた文学的なコジツケだ。
 そして先日、22年目にしてぼくの名付け親である高田漣君にお会いすることができた。他人とは思えない、古くからの友人に会ったかのような奇妙な感覚に襲われた。
 後日うかがったことだが、なんと高田漣さんも「漣」愛好家だった!