ことば

COLUMN

連載46「俳優への道」2000年12月10日号

 <劇の戸口は、追われてきたものがたどり着くところであるといえる。彼は彼の個体に抑圧を加えるものたちから追われるように、どのような経緯をたどってか、ここへやって来る。(中略)劇はまずはじめに人間の不健全がたどる方法である。劇を行うにふさわしい者はおそらくこの世に存在しない。存在するのは、ただ現実の生活に適さない面をもったものたちである>(太田省吾『飛翔と懸垂』より抜粋)
 26年前、ぼくはこの太田さんの文章を読んでしまったことをきっかけに劇の世界に入った。<追われてきた者・不健全・現実の世界に適さない>、そんな言葉にひかれたのだろうか。ぼくにとって、劇団は心の棲家だった。俳優になろうというより、出かける場所が欲しかったのだ。
 この頃、街に出ると声をかけられることが多くなったなと思う。映画ばかりやっていた頃はそうでもなかったが、やはりテレビの連ドラの影響か。
 悲しいかな、それだけで日本映画を見ている観客が少ないと言えるのかもしれない。多くは握手やサインなのだが、中には 「俳優になりたいんですけど……どうすればなれるんですか」と質問する方もいる。
 「うーん、どうやったらなれるって、どうすればいいのかなぁ。ゴメンわかりません」
 一生懸命考えても本当にわからないのだ。こうすればこうなるという図式がまったく通用しない世界であるのは確かだ。
 学習や知識として映画や演劇に詳しい人はたくさんいる。しかしだからといって将来その仕事に就けるとは限らない。ぼくは、かつて演劇・映画青年ではなかった。
 ただ、これだけは言えるかもしれない。ぼくは現実の生活に適さず、なにかに追われていた。偶然めぐり合ってしまった戸口に入り込んだら、そこに劇があった。だから、相変わらずこうしているのだ。